“わかってしまう”感覚が、急に消えるのはなぜなんだろう
こんにちは、らじおです。
今日はちょっとだけ、
少し見えないもの寄りの話をしてみます。
こういう話って、好きな人は好きですが、
苦手な人は「こいつ、ついにそっちの扉を開けたか」と思うかもしれません。
でも、自分の中ではわりとずっと、
ちゃんとある感覚なんですよね。
僕は昔から、
人の感情がなんとなくわかることがあります。
「この人、いま無理してるな」とか、
「笑ってるけど、本当はしんどそうだな」とか。
もちろん、何でも見抜けるわけではありません。
残念ながら、競馬の予想には一度も活かされたことがありません。
ただ、言葉より先に、
その人の空気とか、仕草とか、
目の奥の感じとか、
そういうものがふっと入ってくることがあるんです。
それに加えて、
説明しづらい不思議な体験も、
これまで何度かありました。
偶然にしては出来すぎていること。
気のせいで片づけるには、少しだけ引っかかること。
だからたぶん僕は、
この世界は目に見えるものだけでできているわけじゃないと、
どこかで思っています。
でも、ここで不思議なのが、
その感覚がすごく強い時期と、
まったく何も感じなくなる時期があることです。
あれ、なんなんでしょうね。
以前の僕は、
「ああ、鈍ったな」とか
「もう終わったのかもしれない」とか、
わりとすぐに能力者の引退ムードを出していたんですが、
最近は少し、考え方が変わってきました。
もしかしたらあれは、
“なくなった”んじゃなくて、
“閉じている”だけなんじゃないか
と思うようになったんです。
たとえば、疲れている時。
仕事でずっと気を張っていたり、
人間関係で知らないうちに消耗していたり、
考えごとが多すぎて頭の中がずっと散らかっていたり。
そういう時って、
人の気配どころか、
自分の気持ちすら、よくわからなくなるんですよね。
だから、感覚が消えるのは、
鈍くなったからじゃなくて、
これ以上いろいろ受け取ると、しんどいから
なのかもしれません。
ずっとアンテナが立ちっぱなしって、
たぶん普通に疲れるんですよ。
Wi-Fiですらたまに不安定になるのに、
人間の見えないセンサーだけ常時5Gなわけがない。
人の感情を拾いやすい人って、
優しいというより、「受信しやすい体質」なんだと思います。
で、そういう人ほど、
ときどき強制的にオフの期間が必要なんじゃないかと。
だから最近は、
感覚がある時だけが“本来の自分”で、
感じない時はダメ、とは思わないようにしています。
むしろ、
感じすぎる時の自分も、
何も感じない時の自分も、
どっちもちゃんと自分なんだろうな
と思うようになりました。
スピリチュアルっぽく言うなら、
アンテナの感度には波がある。
現実っぽく言うなら、
心と身体のコンディションには波がある。
たぶんこの二つって同じことを、
違う言葉で話しているだけなんじゃないでしょうか。
見えないものを感じる力って、
特別な才能というより、
静かにしている時だけ戻ってくる“繊細さ”
みたいなものなのかもしれません。
だからもし今、
「最近なんにも感じないな」と思っている人がいたら、
能力が消えたと思わなくても大丈夫です。
それはたぶん、感覚が休んでいるだけです。
そしてそういう時に必要なのは、
除霊とか覚醒とかではなく、
意外とちゃんと「寝ること」だったりします。
結局そこかい、という話なんですが、
たぶんかなり大事です。笑
今日はそんなことを、
ちょっとだけ本気で考えていました。


