こんにちは、らじおです。

この前、駅のホームで、顔を真っ赤にして怒っているおじさんがいました。

スマホを片手に、誰かに向かって何かをまくし立てていて、
もう、りんごみたいにツヤツヤの赤さで。
あれはもう、怒りというより“完熟”でした。

で、そんな光景を見ながら、
ちょっとだけ、胸がぎゅっとなったんです。

怖いとか、迷惑とか、そういうのとも少し違って。
なんというか、「ああ、この人、いま余裕ないんだなあ」っていう、
少しだけ切ない感じ。

たぶん、その人なりの正義があったんだと思うんです。
「それは違うでしょ!」っていう気持ち。うん、きっと間違ってない。

でもね、その正しさが“瞬間湯沸かし器モード”で放出されると、
正義より先に、場の空気が「ちょっと今、近づかないでおこうかな…」って距離をとる気がするんですよね。

周りの人たちは、
「なるほど、その意見は一理ある」ではなくて、
「うわ、温度高っ…」ってなる。

なんだろう。
怒りって、料理でいうと“火加減”みたいなものなのかもしれません。

強火で一気にいくと、確かにインパクトはある。
でも、焦げる。だいたい焦げる。

弱火でじっくりいくと、
味がしみて、「ああ、なるほどね」ってなる。

たぶん、怒りもそれに似ていて、
どう出すかで、伝わり方がずいぶん変わるんだと思います。

その場でぶつけるよりも、
少しだけ火加減を見ながら言葉にしていくほうが、
結果的に、ちゃんと届く。

そんなふうに扱えると、
ちょっとだけ“大人っぽいな”と思ったりします。

一呼吸おいて、
「この正義、どう出したら美味しく伝わるかな?」って考える。

ちょっと時間を置いてから言葉にするだけで、
同じ内容でも、受け取られ方がふわっと変わるから不思議です。

怒りを我慢する必要はないけれど、
怒りにハンドルを握らせない。

そのくらいの距離感が、ちょうどいいのかもしれませんね。

今日もどこかで、誰かの怒りが
いい感じに“弱火調理”されていたらいいなあ、なんて思いながら。

それではまた。

ABOUT ME
らじお
40代半ば、一人娘の父です。 メンタル心理カウンセラー資格所持。 就職氷河期のあと、約10年ほど海外を放浪。 その頃から読み始めた自己啓発本は1000冊以上になりました。 二十数年続く自分探しの旅、今日ものんびり進行中です。