『怨霊の日本史』に呼ばれて本屋へ行ったら、家の積読に祟られた話
こんにちは、らじおです。
今日、本屋でちょっとした“呼ばれ方”をしました。
いや、万引き防止ゲートじゃなくてね。タイトルにです。
『怨霊の日本史』(井沢元彦 著 WAC)
このタイトル、ズルくないですか。
なんというか、静かに肩をトントンされて、「そろそろ、こっち側に戻ってきませんか?」って言われた感じ。
昔はね、こういうスピリチュアルとかオカルト系、けっこう好きだったんですよ。
見えない力とか、土地に残る記憶とか、「それ本当にあるの?」って半笑いで言いつつ、内心ちょっと信じてるあの感じ。
でも気づけば、日々の仕事に追われて、そういう“見えないもの”を考える余白がなくなってました。
毎日向き合ってるのは、だいたい見えるものばかり。
数字とか、締切とか、上司の顔色とか。
……いや、一部は見えないか。空気とか。
そんな中で久しぶりに手に取ったこの一冊。
中身は単なる怪談ではなくて、「怨霊」という存在が、実は日本の歴史にしっかり影響を与えてきた、という話なんですよね。
たとえば、恨みを残して亡くなった人物が祟りを起こすと信じられ、それを鎮めるために神として祀る。
で、その“怨霊対策”が、政治や文化にまで影響していく。
これ、冷静に考えるとすごい話で、
つまり昔の日本は、「恨み、ナメたらあかん」を国家レベルでやってたわけです。
でも読んでると、だんだん思うんですよね。
これ、そんなに昔の話でもないなって。
たとえば職場。
表面上は穏やかだけど、なんか空気が重い会議。
誰も触れないけど、確実に存在している“あの案件”。
名前を出すと場の温度が2度下がる“あの人”。
あれ、ほぼ現代の怨霊です。
しかも厄介なのが、昔と違って現代は「祀る」という文化がないこと。
だからどうなるかというと、鎮まらない。
ずっと会議室の片隅にいる。資料の行間に住みつく。Slackの未返信に宿る。
そう考えると、この本が言ってることって、意外とシンプルで。
「恨みや違和感は、ちゃんと向き合って処理しないと、あとで祟るよ」
いやほんと、それな。
で、ここからが今日のハイライトなんですが。
本屋から帰ってきて、「よし、久しぶりにこういう世界に浸るか」と思って、コーヒーを淹れて、いい感じにソファに座ったんですよ。
完璧な読書体勢。
さあ読むぞ、と本を開こうとした、そのとき。
視界の端に入ってきたんです。
本棚の一角。
そこに積まれた、数冊の本。
全部、“買ったけど読んでないやつ”。
その瞬間、なんとも言えない気配を感じましたね。
「あ……いるわ」
って。
静かなんだけど、確実に圧がある。
何も言ってないのに、「こっちはどうするんですか?」っていう無言の問い。
完全に、怨霊のそれです。
しかもこっちは、崇徳上皇とかじゃない。
もっと身近で、もっと逃げられないやつ。
“過去の自分の判断”という名の怨霊。
結局、私はどうしたか。
『怨霊の日本史』を開く前に、そっとその未読本たちを一冊手に取りました。
……いや、違うんですよ。怖かったとかじゃなくて。
ちゃんと向き合おうかなって。大人として。
そういうことにしておいてください。
というわけで本日の結論。
日本史を動かしてきたのは怨霊かもしれないけど、
40代の生活を静かに侵食しているのは、積読です。
これ、放っておくとたぶん祟ります。
今夜は一冊、鎮めてから寝ようと思います。


