完熟おじさんを見て思った、怒りは強火だとだいたい焦げるという話
こんにちは、らじおです。
この前、駅のホームで、顔を真っ赤にして怒っているおじさんがいました。
スマホを片手に、誰かに向かって何かをまくし立てていて、
もう、りんごみたいにツヤツヤの赤さで。
あれはもう、怒りというより“完熟”でした。
で、そんな光景を見ながら、
ちょっとだけ、胸がぎゅっとなったんです。
怖いとか、迷惑とか、そういうのとも少し違って。
なんというか、「ああ、この人、いま余裕ないんだなあ」っていう、
少しだけ切ない感じ。
たぶん、その人なりの正義があったんだと思うんです。
「それは違うでしょ!」っていう気持ち。うん、きっと間違ってない。
でもね、その正しさが“瞬間湯沸かし器モード”で放出されると、
正義より先に、場の空気が「ちょっと今、近づかないでおこうかな…」って距離をとる気がするんですよね。
周りの人たちは、
「なるほど、その意見は一理ある」ではなくて、
「うわ、温度高っ…」ってなる。
なんだろう。
怒りって、料理でいうと“火加減”みたいなものなのかもしれません。
強火で一気にいくと、確かにインパクトはある。
でも、焦げる。だいたい焦げる。
弱火でじっくりいくと、
味がしみて、「ああ、なるほどね」ってなる。
たぶん、怒りもそれに似ていて、
どう出すかで、伝わり方がずいぶん変わるんだと思います。
その場でぶつけるよりも、
少しだけ火加減を見ながら言葉にしていくほうが、
結果的に、ちゃんと届く。
そんなふうに扱えると、
ちょっとだけ“大人っぽいな”と思ったりします。
一呼吸おいて、
「この正義、どう出したら美味しく伝わるかな?」って考える。
ちょっと時間を置いてから言葉にするだけで、
同じ内容でも、受け取られ方がふわっと変わるから不思議です。
怒りを我慢する必要はないけれど、
怒りにハンドルを握らせない。
そのくらいの距離感が、ちょうどいいのかもしれませんね。
今日もどこかで、誰かの怒りが
いい感じに“弱火調理”されていたらいいなあ、なんて思いながら。
それではまた。
生き方
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